長崎旅行記、そのさん!

朝7時に目を覚まし、朝食会場である大広間に。

こんなに泊まってたの?ってくらい大勢の人だかり。

バイキング形式で和・洋・中いろんなメニューがあります。

新鮮な野菜のサラダバー、ヨーグルトやフルーツジュースも。

朝から満腹でしばし部屋で休憩。

今日の長崎は昨日に引き続き天気が良いとのこと。

しかしpm2.5が多いと。

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たしかに霞んでますね。

本日の観光予定地のルートを確認して10時にチェックアウト。

『にっしょうかん新館 梅松鶴』さん、お世話になりました。

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まずは市の中心にある長崎市民会館の地下に駐車。

ここから歩いて名所を巡ります。

と、ここで長男が「ひとりでブラつきたい。」と。

マメに連絡を取り合うことを条件にリリース(笑)。

妻と娘と3人でまずは近くにある『眼鏡橋』へ。

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1634年に建造されたこの橋は日本初のアーチ式石橋です。

川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えることから名付けられたそうです。

1982年の「長崎大水害」で半壊しましたが修復され、

国の重要文化財に指定されてます。

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ここから更に歩いていきます。じわじわと上り坂になってきました。

目指したのは日本最古の中国様式の寺院『崇福寺』。

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この「三門」を含む重要文化財、国宝が中にあるのですが、

昨日からの疲れがカミさんの足を重くし、泣く泣く後にします。

ここからさらに歩きます。

両脇にいろんなお店があり、立ち止まって中を覗いたり・・・

時折足を休めながら海の方角へ。

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出島が見えてきました。

『出島』とは1634年、江戸幕府が外国人流入防止政策の一環として

長崎に造られた人工島です。

当初はポルトガル、その後オランダとの唯一の貿易拠点でした。

鎖国を進める江戸幕府により、日本は世界との繋がりは出島だけでした。

主に生糸、砂糖、薬等を輸入、銀や銅を輸出しました。

出島からいろんな西洋文化が日本に入ってきました。

西洋医学もそうですね。

自由平等という思想は当時の日本にはないもので、

この思想が日本に広まり幕末に大きく影響を与えたともいわれます。

ペリーの来航により1856年に幕府から出島開放令が出され、

3年後の1859年に閉鎖、出島としての役目を終えました。

明治時代に護岸工事、埋め立て工事で内陸化しています。

昭和に入り復元工事が始まり今日に至ります。

 

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桜(和)とチューリップ(洋)が仲良く咲いていました。

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復元模型の前で。

 

この後楽しみにしていた、近くにある新地中華街での食事です。

 

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会社の長崎出身の同僚がお薦めする『江山楼』を探します。

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見つけました。

店内にも待ちの行列がありましたが、思いのほか早く案内されました。

同僚お薦めの長崎ちゃんぽんと長崎皿うどんをオーダー。

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福岡では豚骨ベースが一般的ですが、こちらは違いますね。

こってり系で深い味わいです。

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パリパリ麺の皿うどんは絶品でした。

家族でシェアして頂きました。

美味しいお茶で一息つきたいところですが、お皿を早々と片付けられ・・・

行列が出来てるのでしょうがないですね、会計を済ませて店外へ。

中華街をブラブラした後、次の観光地へ向かいますが

つづきはまた後で・・・

 

つづく・・・きっと