カミさんの誕生日が近く、母の日も近いということで書かずにいましたが、
3人とも春に命を落としているのですね。
嫡男以外は「部屋住み」の冷や飯食い。
そんな彼らは試衛館という道場で剣を学びます。
時は幕末。
尊王攘夷、倒幕運動が京都を中心に渦巻きます。
浪士(町民、農民含む)で結成された「浪士組」を京都に送り込みます。
「京都見廻組」が正規組織であるのに対し、
「浪士組」は非正規組織という身分でした。
江戸で募集された「浪士組」に試衛館の3人も含まれていました。
京都に到着早々思想の違いから分裂し、「壬生浪士組」を結成。
その働きを評価され隊名を「新撰組」と拝命されます。
警備をしながらも内紛が相次ぎ、
暗殺、切腹、逃亡などが繰り返され試衛館派が組を掌握し、
近藤勇を頂点とした組織が整備されました。
9名を討ち取り、4名を捕縛。
その後も京都市内で攘夷派の志士の討ち取り、捕縛は続きます。
一方、新撰組内でも思想の違いから脱退した元隊員を暗殺したり、
逃亡を企てた者に切腹させたりとその歴史は血塗られたものです。
そんな中、薩長同盟が締結。
締結に尽力、内戦を回避しようと奔走する坂本龍馬は暗殺され、
武力による倒幕を主張する薩長が京都に押し込みます。
これで江戸幕府は終焉を迎えます。
しかし、それを潔しとしない旧幕府軍は新政府軍と激突。
沖田総司は結核のため戦闘には参加できず、江戸に後送されます。
敗走を続けます。
そんな中、近藤勇が新政府軍に捕まり処刑されます。
一説によると「武士」として切腹を願い出るも、
「武士」ではないとして斬首、その首は京都に晒されました。
近藤勇、享年34歳。
その近藤の死を知らぬまま、沖田総司も結核のためこの世を去ります。
沖田総司の出生は定かでなく、享年24歳とも27歳とも説があります。
五稜郭を占拠し、ここで新政府軍と激しい戦いが繰り広げられます。
そして運命の1869年5月11日。
新政府軍に包囲され孤立した友軍を助けに行くため、
わずかな兵を率いて馬上で指揮を執る土方歳三。
その歳三の腹に一発の銃弾が命中して落馬。
歳三はその生涯を閉じたのでした。
土方歳三、享年35歳。
生涯人を殺さず、人を活かそうとした坂本龍馬。
その対極と言える、人を斬りまくった新撰組。
暗殺集団とも言われていますね。
しかし、その一人一人を見ると実に興味深い。
身分制度に抗い、幕末という荒波に翻弄され、
己の信ずるものへ執着するあまり時勢を見ることが出来ずに、
幕臣に取り立ててくれた幕府に、幕府亡き後も最後まで忠誠を貫き、
そして最後は武士より武士であろうとした青年達。
今の日本は、大志を抱き時代に翻弄され、
血と涙を流した多くの若者の命を土台にしている。
人を殺めることはもちろんいけないが、
生き方、生き様から学ぶことは沢山あると思う。
偉人と言われる人も、
名が残らぬ圧倒的多数の人も一生懸命生きてきた。
そして現代の我々も一生懸命生きることが大切である。
命燃えよ、燃えよ剣