長崎旅行記、番外編

これから話すことは決して嘘ではありません。

しかし、ホントとも言えない・・・

まさに夢として読んで頂けると幸いです。

 

ホテルで就寝中のことです。

夢の中で私は両腕を抱えられ引き立てられました。

「今からお前を処刑する。」

「えっ?なんで私が?」

「問答無用!」

「なぜ?なぜ?」

・・・

はっと目が覚めました。

周りは真っ暗ですが間違いなくホテルの一室。

「なんだ夢か。怖い夢を見たな。」

そう思いながらも歩き回った疲れからかすぐに深い眠りに。

 

翌朝目覚めてあの夢のことを思い出しました。

といってもどんなシチュエーションだったか思い出せません。

朝食の時間となり、夢のことは頭の片隅に追いやられました。

 

朝食が終わり、出立の用意を済ませ、

今日周るルートの再確認のため観光マップを見ていると・・・

一瞬戦慄が走りました。

 

このホテルのある丘を下ったところの地名が西坂。

 

豊臣政権の禁教令のため1597年に

外国人宣教師6名と日本人のキリシタン20名、

計26名が処刑された地だったのです。

丘のすぐ下に『日本二十六聖人殉教碑』があります。

 

思い出しました。

40年ぐらい前に小学校の修学旅行で訪れ、

説明を聞き深く印象に残っていました。

処刑された日本人の中には12~14才の子供3名も含まれてます。

同じ年頃の子がここで磔の刑で・・・

当時の私は大変なショックを受けたことを憶えてます。

きっとその心の奥深くに刻みこまれた記憶が

あのような形で蘇ったのでしょう。

観光マップで無意識に見て脳裏で反応したのだと思います。

 

変に捉えられるとせっかくの旅行が台無しになるので、

カミさんと子供たちには黙っておきます。

 

 

大浦天主堂

1865年に建造されたキリスト教会。

西坂を向いています。

 

1597年の処刑はヨーロッパに伝えられ、

ローマ教皇が26名の殉教者を「日本二十六聖人」と称しました。

幕末に開国されるとキリスト教の神父たちが土地を入手し、

二十六名の殉教者に捧げるために教会を建築しました。

それが大浦天主堂なのです。

 

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家族がグラバー園に向かって重い足を引きずる後ろで

そっと手を合わせてきました。

 

 

いろんな顔を持つ長崎。

鎖国の中、出島を通して西洋の物や文化が長崎に集まりました。

時に武器が取引され明治維新にも大きく影響を与えた街、長崎。

その反面で、

1945年8月9日に広島に次いで原爆が投下されました。

私の長崎出身の同僚は被爆二世です。

明るい歴史と暗い歴史を併せ持つ街。

日本は今一度、歴史を見直すべき時なのかもしれません。

 

もう一度、じっくり周りたい街ですね。

 

次は路面電車で(笑)

長崎旅行記、完結?

父の手術の日に同僚の父親が亡くなりました。

末期癌で、手の施しようがない状態だったとのこと。

老い、病、怪我・・・いろいろと考えさせられる春となりました。

そうですね、目を背けては生きていけない。

出来れば考えたくはないが必ず訪れる。

それはいつ訪れるかわからない。

だからこそ一瞬一瞬を大切に生きなきゃならない。

同僚も今日から職場に復帰。

心の整理がついたのか、一時でも忘れようとしてるのか。

張り切って頑張ってます。

静かに見守っていきたいと思います。

 

・・・で、

 

連載中(?)だった長崎旅行の続きを・・・

 

中華街で食事をとったとこまででしたね。

食事の後、散策しながらグラバー園を目指します。

途中にオランダ坂があるのですが、

上り坂なのを見てカミさんが一言「スルー!」

坂の上にある活水女子大学の学生さんが昇ってるので

後をついて行きたかったのですが・・・可愛かったのに・・・

気温も上がり、冷たいものでもと喫茶店へ。

カフェインレスのアイスコーヒーで至福のひと時を。

休憩後、また歩きです。

歩きに歩いてようやく到着。

着いたはいいがまた坂・・・

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お土産屋さんを横目に昇っていくと、

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正面に大浦天主堂

大浦天主堂とは幕末の1865年に建造された、

現存する日本最古のキリスト教建築物です。

この教会については後ほど・・・

 

この大浦天主堂に隣接してグラバー園があります。

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また坂です。

これを昇りきったところに入園口があるのですが、

庭園内の案内図を見てカミさんが「ギブッ!」

グラバー園とは幕末から明治期にかけて長崎に在住したイギリス商人の

グラバー、リンガー、オルトの旧邸の周りに

市内にあった洋館を移築復元したものです。

トーマス・グラバー

イギリスの商人で長崎の造船業の礎を築いたとも言われています。

国産ビールの育ての親とも。

武器商人として亀山社中とも取引しています。

坂本龍馬もこのグラバー邸を訪れ交渉しています。

幕末の動乱期に討幕派に最新式の武器弾薬を与え、

維新の陰の立役者となりました。

薩長同盟にも深く関与しています。

明治日本の近代化にも大きく貢献しています。

 

広い綺麗な庭園の中に洋館が点在していて

私としてはゆっくり見て回りたかったのですが、

「もういや、歩きたくない!ここから動かん!」げな。

しばらくここで休憩。

私は長崎港を見渡せるところに行き、

珍しいものを発見!

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海上自衛隊イージス艦です。

通常は佐世保港にあるらしいのですが、この日は長崎港にありました。

番号から護衛艦「こんごう」のようですね。

もう一隻は番号がはっきりとはわかりません。

 

一息ついたところで、

土産屋でカステラと職場へのお土産を買って帰路につきます。

坂の下に路面電車があり、それに乗って車を停めてある長崎市民会館へ。

実は路面電車で観光各所を巡っていけるのです。

しかも1日乗車券を使えばお得に。

カミさんは「最初っから乗ればよかったーっ!」と叫んでますが、

それでは意味が無いのです。

今回の旅の副題は『龍馬の歩いた道を歩く』ですから・・・

 

一人ブラブラしてた長男と合流、愛車で長崎を後にしました。

 

 

大浦天主堂についてはまた後ほど・・・

 

父の老い・・・

更新が遅れてしまいました。

この間に私の父が転倒していしまい大腿骨頸部骨折をしまして、

手術をしました。

 

手術前に担当医から説明がありまして、

高齢であること、腹部に動脈瘤があることで危険が伴うと。

「もし心臓が止まった場合はどうしますか?」

「ど、どうするって?」

「延命処置を行いますか?」

「延命処置をすれば助かるのですか?」

「そうなるということは心臓がそれだけ弱ってるということですから、

現状回復は難しい。助かっても寝たきりで人工呼吸器装着となる可能性が高い。」

 

実は数か月前、母が父の本を整理していたら遺書が見つかって、

5年ぐらい前に書かれたもので認知症が少し出てきたころと重なります。

「もしもの場合は延命治療をするな。」と書かれてました。

家族で話し合い、父の意思を尊重して延命処置はしないことに。

手術中は皆祈る思いでした。

折れた骨頭を人工の骨頭に換える『人工骨頭置換術』という方法です。

3時間近くかかった手術は無事成功。

手術後の父に集中治療室で面会しました。

麻酔で意識が朦朧としながらも

「頑張ったね。」の声にわずかに微笑みました。

 

しばらくは合併症を引き起こさないよう集中治療室で、

その後様子を見て一般病棟へ移るとのこと。

そしてその後は辛いリハビリが待っています。

 

私の父は40代後半まで中学の教師でした。

その地域では名の知れた荒れた中学でして、

一緒に夕飯を食べた記憶があまりないのです。

帰宅は遅く、休みの日は部活の顧問。

生徒補導の知らせで夜に出ていくのは日常茶飯事でした。

金八先生を地で行くような先生だったようですが、

テレビで「金八先生」を見ていると必ず「こんな単純なものではない・・・」と。

そんな中、一緒に駆けずり回っていた同僚の方が心労から自殺。

心身をすり減らした父も胃潰瘍から体を壊し退職。

その後特別養護老人ホームの職員となり副園長、園長と務めてきました。

老いとは、認知症とはどういうものか。

職場で向き合ってきた父。

趣味は登山でしたが胃ガンを患い

胃の3分の2を摘出してからは体力が無くなり、

山に登ることは出来なくなりました。

老人ホームの園長を退職してからは急に老けこもりました。

大好きなはずの本も読まなくなり、好きな車も運転しなくなり・・・

全てのことに興味を失いました。

認知症になるリスクがあるから医師に相談しようと話しても

認知症の診断内容を知ってるので頑なに拒み続けます。

出来るだけ刺激を与えようと一緒に旅行したり、

本を贈ったりしていたのですが認知症の進行を止めることは出来ませんでした。

かつての教え子さん達がよく遊びに来てたのですが、

会話が思うように出来なくなった父を見て涙ぐんで帰っていったそうです。

 

あの厳格だった父が・・・

いろんな想いが込み上げてきて頭が整理できずにいます。

しかし、幸いなことに父は生きている。

これから出来うる限り寄り添いながら

楽しい時間を少しでも長く感じていられるようしていこう。

 

長崎旅行記、そのさん!

朝7時に目を覚まし、朝食会場である大広間に。

こんなに泊まってたの?ってくらい大勢の人だかり。

バイキング形式で和・洋・中いろんなメニューがあります。

新鮮な野菜のサラダバー、ヨーグルトやフルーツジュースも。

朝から満腹でしばし部屋で休憩。

今日の長崎は昨日に引き続き天気が良いとのこと。

しかしpm2.5が多いと。

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たしかに霞んでますね。

本日の観光予定地のルートを確認して10時にチェックアウト。

『にっしょうかん新館 梅松鶴』さん、お世話になりました。

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まずは市の中心にある長崎市民会館の地下に駐車。

ここから歩いて名所を巡ります。

と、ここで長男が「ひとりでブラつきたい。」と。

マメに連絡を取り合うことを条件にリリース(笑)。

妻と娘と3人でまずは近くにある『眼鏡橋』へ。

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1634年に建造されたこの橋は日本初のアーチ式石橋です。

川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えることから名付けられたそうです。

1982年の「長崎大水害」で半壊しましたが修復され、

国の重要文化財に指定されてます。

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ここから更に歩いていきます。じわじわと上り坂になってきました。

目指したのは日本最古の中国様式の寺院『崇福寺』。

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この「三門」を含む重要文化財、国宝が中にあるのですが、

昨日からの疲れがカミさんの足を重くし、泣く泣く後にします。

ここからさらに歩きます。

両脇にいろんなお店があり、立ち止まって中を覗いたり・・・

時折足を休めながら海の方角へ。

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出島が見えてきました。

『出島』とは1634年、江戸幕府が外国人流入防止政策の一環として

長崎に造られた人工島です。

当初はポルトガル、その後オランダとの唯一の貿易拠点でした。

鎖国を進める江戸幕府により、日本は世界との繋がりは出島だけでした。

主に生糸、砂糖、薬等を輸入、銀や銅を輸出しました。

出島からいろんな西洋文化が日本に入ってきました。

西洋医学もそうですね。

自由平等という思想は当時の日本にはないもので、

この思想が日本に広まり幕末に大きく影響を与えたともいわれます。

ペリーの来航により1856年に幕府から出島開放令が出され、

3年後の1859年に閉鎖、出島としての役目を終えました。

明治時代に護岸工事、埋め立て工事で内陸化しています。

昭和に入り復元工事が始まり今日に至ります。

 

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桜(和)とチューリップ(洋)が仲良く咲いていました。

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復元模型の前で。

 

この後楽しみにしていた、近くにある新地中華街での食事です。

 

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会社の長崎出身の同僚がお薦めする『江山楼』を探します。

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見つけました。

店内にも待ちの行列がありましたが、思いのほか早く案内されました。

同僚お薦めの長崎ちゃんぽんと長崎皿うどんをオーダー。

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福岡では豚骨ベースが一般的ですが、こちらは違いますね。

こってり系で深い味わいです。

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パリパリ麺の皿うどんは絶品でした。

家族でシェアして頂きました。

美味しいお茶で一息つきたいところですが、お皿を早々と片付けられ・・・

行列が出来てるのでしょうがないですね、会計を済ませて店外へ。

中華街をブラブラした後、次の観光地へ向かいますが

つづきはまた後で・・・

 

つづく・・・きっと

 

長崎旅行記、そのに!

初日に到着早々目的を達成したので

後はありふれた観光になりました・・・期待させてゴメンナサイ!

龍馬の道で坂を昇りに昇ったのでもうホテル直行!と

我が家の財務省がおっしゃるので一路ホテルへ。

有名な稲佐山の反対に位置する山を車で登っていきます。

くねくねと、こんな急な坂!ってな道をぐんぐん上ると見えてきました。

今回宿泊するホテル『にっしょうかん新館 梅松鶴』。

https://www.hmi-ryokan.jp/baishokaku/

 

駐車場に車を停めるとすぐに仲居さんが二人出てきて荷物を持ってくれます。

このホテルではチェックアウトまで気持ちよく過ごせました。

長崎旅行のさいはお薦めのお宿です。

山の頂上にあるので見晴らしも最高です。

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長崎市と長崎港。

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向かいには稲佐山

長崎は神戸、札幌(函館?)と並ぶ日本三大夜景の一つです。

夜が楽しみです。

 

と、ここで夕食まで時間があるからと、娘が「GU行きたい!」げな。

なぜに長崎まで来てGUなのか?

検索したら坂の下にあるココウォークという商業施設内にあると。

検索するなー!

しかたないのでまた車に乗り込み山を下りて麓のココウォークへ。

ここで長男がよもやの別行動。

そして約束の合流時間に大幅に遅れ、

ホテルに戻ったらそのまま夕食会場の大広間へ。

夕食は長崎情緒ある鮮やかな品々でした。

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残念ながらお料理の写真がどれもピンボケでした。

長崎料理を堪能してみんな満足です。

 

そして部屋に戻りカーテンを開けると、

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カメラがいいともっと綺麗に撮れたのですが・・・

この写真からだと伝わらないかもしれませんが、

見事な夜景でした。これは一見の価値ありです。

 

この後、大浴場で体の疲れを癒します。

温泉ではないのですが、ちょうどいい湯加減で気持ち良かったです。

 

部屋に戻ると寝不足の長男が真っ先にベッドに倒れ込み爆睡。

私は家族が寝静まってそっと窓を閉め、

ベッドに横になり今日一日を思い起こしました。

龍馬の歩いたであろう坂、

龍馬が見たであろう長崎の風景に思いを馳せ、

少しだけ龍馬に触れたような気分で心地よく眠りにつきました。

 

つづく・・・たぶん・・・

長崎旅行記、龍馬の道をゆく

上司の送別会から一夜明けて気持ちも切り替えて・・・

どころか、忙しくて考える余裕もなく一日が過ぎました。

そして2連休を頂いてたので直前に予定を立てた長崎旅行へ。

年に一回ほどの割合で家族旅行に行ってるのですが、

長男は中学の頃からついてきてないので、

まあ今回も行かないだろうなと高を括って妻と娘と3人いい宿に、と。

宿を決めて一応長男にも声を掛ける。

ちち「家族で長崎に旅行に行こうと思ってるけど行く?」

ちょーなん「あぁ長崎ね、行く。」

ちち「わかったわかった・・・はい?」

 

だいごさーーーん!

ちと出費がかさみましたが、家族4人で旅行はもしかすると最後かも。

 

前日の夜にバタバタ用意を。

夜な夜なオンラインゲームに講ずる長男に早目に寝ろと。

娘にもYouTubeはたいがいにして早く寝ろと。

翌朝、やはりこの二人が起きてこない・・・

叩き起こして車に押し込み出発!

高速道を飛ばしてると案の定、長男が気持ちが悪いと。

寝不足で車酔い。先が思いやられる・・・

サービスエリアにちょこちょこ寄りながら一路長崎へ。

長崎県に入り、風光明媚な大村湾PAへ。

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何故恋人の聖地なのかわかりませぬが、

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ハートをくぐって東屋?で手を繋ぐ(キス?)と結ばれるらしい。

興味のある方は是非どうぞ。保証はしません念のため。

長崎市に入って一番先に目指したのは亀山社中跡。

実は私にとってここが一番の目的だったのです。

大通りから路地に入ったところのコイン駐車場に車を停め、

坂を昇る昇る・・・

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ようやくたどり着きました。

亀山社中とは・・・

幕末(江戸時代後半)に土佐藩を脱藩した坂本龍馬が中心となり結成された組織です。

勝海舟の指導する神戸海軍操練所で海洋航行術を身に付けた龍馬は、

神戸海軍操練所が閉鎖された後に薩摩藩や長崎の商人から援助をうけ、

1865年、長崎の亀山に本拠をおき、貿易や物資の運搬を行いました。

その傍ら、薩摩藩と険悪だった長州藩

薩摩藩名義で購入した武器を渡すなどして薩長同盟締結に尽力しました。

1867年に龍馬は土佐藩から脱藩の罪を赦され、

土佐藩付属の「海援隊」となりました。

日本初の株式会社ともいわれています。

海援隊を参考にして土佐藩岩崎弥太郎が三菱の元を作ったといわれています。

朝廷復権・倒幕運動に奔走しながらも内戦回避を主張する龍馬と、

武力による倒幕が不可欠と主張する薩長と意見が衝突するなか、

1867年11月15日、京都『近江屋』で龍馬は暗殺されます。

龍馬亡き後、倒幕、明治維新がどのように行われたか歴史で学びましたね。

海援隊は1868年に解散となります。

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「龍馬のぶーつ像」が近くにあり長崎市内を見下ろすことが出来ます。

ここから更に坂を昇って昇って・・・

カミさんと子供たちは坂の途中で「ギブ!」げな。

頂上に頭山公園がありまして。

なんだ、駐車場があるやん・・・

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桜が満開の中、

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龍馬像がありました。

翻るは海援隊の旗。

龍馬は海の方向を向いています。

今の日本を龍馬はどう思っているのでしょうね・・・

『日本を今いちどせんたくいたし申候』

 

奇しくも誕生日に天に召された龍馬。

幕末の大きなうねりの中、

日本の道筋を示して役割を終えると天に昇って行った。

32年の生涯で何度も日本を走り回り、沢山の人と話し、

概念を塗り替えていった。

数奇な運命を辿った偉人もいろんなことで悩み、失敗もしています。

現代の私達は結果主義で結果が出ないと価値が無いみたいに捉われる。

結果が全てではない。

一生懸命生きることが大事である。

目の前の結果でその人の価値は測れない。

きっと一人一人意味を持って生まれてきている。

今は自分自身ではわからずとも、きっと見ている人がいる。

そう強く感じた龍馬との対面でした。

 

つづく

別れの季節・・・

桜が一気に開花しましたね。

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ここは私のお気に入りの場所です。

 

春は別れの季節でもあります。

今夜は上司の送別会でした。

 

その上司は、私が鬱で苦しい時期に転勤してきました。

ほどなくして私が入院。

私の家族とも接していろいろと支えてくれました。

たぶん、この上司でなかったら今の職場に復帰は難しかったと思う。

腫れ物に触るような感じで閑職に回される。

私の勤める会社は全国規模で誰もが知ってる企業ですが、

古い体質が色濃く残ってます。

私のいる九州事業所では私を含め、少なくとも3人が心療内科に通ってます。

陰では「結局心が弱いからなんだよ。」と言われています。

こうなってしまったら言い返せないんですね。

地道に業務をこなしていくしかない。

そのための復帰を後押ししてくれました。

九州事業所で一番精神的にキツイ職場への復帰は、

上層部では疑問の声もあったようです。

しかし上司が反対の声を押し切って私の尊厳を守ってくれました。

いろんな話を聞いていただき、時にはきつい言葉での叱咤激励もあり、

私を盛り立ててくれました。

「言葉が汚く、押しが強く、強烈な個性の塊。」

と周りでは言われる上司でしたが私にとってはよき理解者でした。

単身赴任で各地を転々とする出世街道まっしぐらの方なので、

今回の転勤も栄転、送別会も大勢集まりました。

私は明日早朝出勤なので、一次会でお別れ。

酒の好きな方なので明日が休みの連中は朝まで付き合わされることでしょう。

 

帰路、上の公園に寄りました。

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夜風に吹かれながら街灯の明かりで浮かび上がる夜桜を見てました。

 

 

感傷的になってカッコ悪いですね。

女々しいなぁ。

別れにはきっと何か意味がある。

きっと次のステージに上がるための試練なんだ。

そして新たな出会いがある。

上を向いて歩こう

 

 

しかし今夜だけは感傷に浸らせてくれ。

 

やがて男は静かにねむるのでしょう