長崎旅行記、龍馬の道をゆく

上司の送別会から一夜明けて気持ちも切り替えて・・・

どころか、忙しくて考える余裕もなく一日が過ぎました。

そして2連休を頂いてたので直前に予定を立てた長崎旅行へ。

年に一回ほどの割合で家族旅行に行ってるのですが、

長男は中学の頃からついてきてないので、

まあ今回も行かないだろうなと高を括って妻と娘と3人いい宿に、と。

宿を決めて一応長男にも声を掛ける。

ちち「家族で長崎に旅行に行こうと思ってるけど行く?」

ちょーなん「あぁ長崎ね、行く。」

ちち「わかったわかった・・・はい?」

 

だいごさーーーん!

ちと出費がかさみましたが、家族4人で旅行はもしかすると最後かも。

 

前日の夜にバタバタ用意を。

夜な夜なオンラインゲームに講ずる長男に早目に寝ろと。

娘にもYouTubeはたいがいにして早く寝ろと。

翌朝、やはりこの二人が起きてこない・・・

叩き起こして車に押し込み出発!

高速道を飛ばしてると案の定、長男が気持ちが悪いと。

寝不足で車酔い。先が思いやられる・・・

サービスエリアにちょこちょこ寄りながら一路長崎へ。

長崎県に入り、風光明媚な大村湾PAへ。

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何故恋人の聖地なのかわかりませぬが、

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ハートをくぐって東屋?で手を繋ぐ(キス?)と結ばれるらしい。

興味のある方は是非どうぞ。保証はしません念のため。

長崎市に入って一番先に目指したのは亀山社中跡。

実は私にとってここが一番の目的だったのです。

大通りから路地に入ったところのコイン駐車場に車を停め、

坂を昇る昇る・・・

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ようやくたどり着きました。

亀山社中とは・・・

幕末(江戸時代後半)に土佐藩を脱藩した坂本龍馬が中心となり結成された組織です。

勝海舟の指導する神戸海軍操練所で海洋航行術を身に付けた龍馬は、

神戸海軍操練所が閉鎖された後に薩摩藩や長崎の商人から援助をうけ、

1865年、長崎の亀山に本拠をおき、貿易や物資の運搬を行いました。

その傍ら、薩摩藩と険悪だった長州藩

薩摩藩名義で購入した武器を渡すなどして薩長同盟締結に尽力しました。

1867年に龍馬は土佐藩から脱藩の罪を赦され、

土佐藩付属の「海援隊」となりました。

日本初の株式会社ともいわれています。

海援隊を参考にして土佐藩岩崎弥太郎が三菱の元を作ったといわれています。

朝廷復権・倒幕運動に奔走しながらも内戦回避を主張する龍馬と、

武力による倒幕が不可欠と主張する薩長と意見が衝突するなか、

1867年11月15日、京都『近江屋』で龍馬は暗殺されます。

龍馬亡き後、倒幕、明治維新がどのように行われたか歴史で学びましたね。

海援隊は1868年に解散となります。

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「龍馬のぶーつ像」が近くにあり長崎市内を見下ろすことが出来ます。

ここから更に坂を昇って昇って・・・

カミさんと子供たちは坂の途中で「ギブ!」げな。

頂上に頭山公園がありまして。

なんだ、駐車場があるやん・・・

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桜が満開の中、

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龍馬像がありました。

翻るは海援隊の旗。

龍馬は海の方向を向いています。

今の日本を龍馬はどう思っているのでしょうね・・・

『日本を今いちどせんたくいたし申候』

 

奇しくも誕生日に天に召された龍馬。

幕末の大きなうねりの中、

日本の道筋を示して役割を終えると天に昇って行った。

32年の生涯で何度も日本を走り回り、沢山の人と話し、

概念を塗り替えていった。

数奇な運命を辿った偉人もいろんなことで悩み、失敗もしています。

現代の私達は結果主義で結果が出ないと価値が無いみたいに捉われる。

結果が全てではない。

一生懸命生きることが大事である。

目の前の結果でその人の価値は測れない。

きっと一人一人意味を持って生まれてきている。

今は自分自身ではわからずとも、きっと見ている人がいる。

そう強く感じた龍馬との対面でした。

 

つづく