義父との約束…

義父はせっかちでして・・・

 

私が到着する直前に

あっさりと天国への階段を昇っていきました。

 

 

転院した先もコロナウイルス対策として

見舞いは原則市内在住の近親者のみ。

孫とも会えず、

義母と娘3人のみの看取りとなってしまいました。

 

その日は勤務中にカミさんからLINEが入り

「ドクターが今夜から明朝にかけてと」

とのことでしたので、

勤務を終え豪雨の中渋滞にはまりながらも

夕刻に病院の駐車場へ入りました。

駐車スペースに車を停めた途端にLINE通知。

「今、息を引き取りました。」

カミさんからでした。

病院内を走って走って

病室が何処かわからず探し回って

ようやく見つけて病室に入ると

ドクターが死亡確認をしているところでした。

 

カミさんの話によると

前日から意識は無く話しかけても反応無し。

ただ痛みからか眉をひそめる表情を見せていたとのこと。

緩和ケアによってか朝からは表情が穏やかに。

呼吸が不規則になる時間があり、

昼頃ドクターから

「今夜から明朝にかけてだろう、ご家族に連絡を」

と言われたとのこと。

夕方になり急に呼吸が荒くなったと思ったら

次の瞬間息がピタリと止まったと。

必死に声を掛け、肩を叩いたりゆすっても

戻ることはなかったということでした。

あまりにも突然であっけない別れに皆が呆然と・・・

 

ただ数時間前から見開いたままの乾いた目の、

目じりに小さな水滴があったとのこと。

「反応がないということは意識がない、

と一般的に思われがちですが

周りの声は本人に聞こえてるんですよ」

と2年前私の父を看た先生が言ってたことを思い出しました。

義母と愛する娘たちに看取られて感謝の涙だったと思いたい。

私が到着した時は瞼も閉じられ柔和な寝顔のようでした。

 

ただ、ただ、謝りたかった。

 

孫に会わせたかった。

 

私の長男は義父にとって初めての男の子の孫でした。

小学校に上がる前ぐらいまではよく帰省してたのですが、

私の失業・転職などいろいろなことが重なり、

私自身が私の実家、カミさんの実家に帰り辛い状況に。

その後はシフト勤務を理由に年2回ぐらいのペースで。

そのうち息子が思春期に入り、

正月ぐらいしかついてこなくなりました。

 

2年前に私の父が亡くなり、

もっと孫に会わせておけばと後悔してたのに・・・

 

去年の夏にカミさんの実家に帰省したさい義父に

「君のお父さんの次は俺達。

もう何年生きられるか分からん。

毎月とは言わん。

せめて3か月に一度くらいは孫の顔を見させてくれ。」

と涙ながらに・・・

 

その後、義父の受勲のお祝い、そして正月。

長男とはこの時が最期となりました。

 

娘の方は4月に帰省した時が最期。

 

コロナがなければ…というのはたやすい。

しかし本当は日頃から親孝行をしなければいけなかった。

 

お義父さん、約束を守れないじゃあないですか…

また十字架を背負って生きていかなきゃならん