父を見送ってまいりました。
先週「熱が出て呼吸が苦しそう」と連絡が入り、
仕事の合間に車を飛ばして見舞いに。
その時は熱も下がり落ち着つきましたが、
声掛けには反応ありません。
医師の話では、もって数日だろうと。
にわかには信じられずも息子3人で今後のことを話し合い、
帰路につきました。
そして週明け。
深夜勤務を控えた昼下がりに電話のベルが響く。
「血圧低下、呼吸困難!」
父に付き添っていた弟の緊張した声。
すぐに会社に連絡を入れ、車に飛び乗って郷里を目指す。
高速を飛ばしに飛ばして病院に到着。
血圧は低く息も不規則。
目は見開いた状態で瞬きはなし。
瞼やまつ毛に触れても反応なし。
母が必死に呼びかける。
私達息子3人兄弟の長男は仕事で遅れてる。
呼吸が止まると、
「兄がまだだよ、父さんもう少し、頑張って!」
と肩を叩くと息を吹き返す。
そんな状態が数時間続いて、兄が到着。
兄の声に安心したのか、
その後まもなく永久に呼吸を止めました。
享年82歳。
一か月後に83の誕生日を迎える前に旅立ちました。
思えば私が一番親不孝者でした。
若い時に家出、中退、警察沙汰、事故と
親として大変な苦労をかけました。
もちろん叩かれたことも一度や二度ではありません。
しかし、一時の感情にとらわれることがなく
凄まじいまでの自制心を持ち合わせた人でした。
私も親になってようやくわかりました。
通夜や葬儀に駆けつけてくれた方々から
父の話を聞くことが出来ました。
中にはそんな一面もあったんだと驚くような話も。
本当に人との繋がりを大切にする人でした。
信念を持ち、気配りを大切にする
大きな木の幹のようでした。
きっと中身の濃い82年だったのだろうと思います。
火葬場の周りで葉を落とした木々が夕陽の中輝いていました。
3か月前に旅立った友であり妻の兄である叔父と、
天国で好きな音楽や本の話に花を咲かせることでしょう。
葬儀の最後に父の大好きだった曲が流れました。
通夜・葬儀では周りが泣こうとも一切涙を見せませんでしたが、
今になって止めどもなく涙が溢れてきます。
今夜一晩だけ泣かせて下さい、父さん。
明日に架ける橋【訳詞付】- Simon & Garfunkel