生き方・・・

叔父の葬儀に出席してきました。

 

叔父は私の母の兄で、父の大学時代の友人でした。

先代から受け継いだ病院の医師で、先代同様市内では評判の名医でした。

叔父も私の父と同じ「福祉で儲けてはいけない」を理念としてました。

しかし一方で経営は逼迫していきます。

そこで立ち上がったのが叔母でした。

叔母は明治期に活躍した医師の子孫でしたが、

町医者の所に嫁に出されることに抵抗感があったと伝え聴いています。

徹底したリストラ、コストダウン。

よくテレビドラマでありますね。

現場を知らない理事長が無理なリストラやコストカットを敢行して

現場は大変なことに!って。

・・・経営持ち直したんですよ。

しかし評判と引き換えに。

病院内でも理事長であり院長である叔父より

理事の叔母の方が恐れられる存在に。

私の父が園長をしていた特別養護老人ホーム

叔父が経営していたのですが、

叔母がそこの理事長に就任するとリストラと徹底したコストダウン。

入金が滞ってる入所者は別の施設を紹介して半ば強制的に追い出す。

経費の掛かる催し事は入所者の楽しみであっても中止。

「余生を楽しんでもらいたい」父と真っ向から対立。

しかし人事権等を完全に掌握した叔母には勝てませんでした。

お金で雇った事務方で周りを固められ万事休す。

一挙手一投足を逐一報告され、クビにする口実を探していたとのこと。

叔母からの歪曲された内容を聴かされた叔父が苦言を言ってくることも。

そんな状態が数年続き父は心労からダウンし、

精密検査で胃ガンが見つかり手術。

再発はないものの腹部動脈瘤が見つかり意を決して退職。

「福祉を商売にした」叔母に母も激怒。

自然と叔父方と疎遠になっていきました。

 

私の父に認知症が出始めたのと同じ頃に叔父も大病を患います。

私の従弟にあたる、叔父の息子が跡を継いで3代目に。

幼い頃から名門学校の寄宿舎に入れられ育った息子は

父親に対する愛情は無く恨みを持っているかのよう。

しばらくは経営する医療施設の一角を

父親の居住スペースとしていましたが、

最近になって市外の病院に入院させていたとのこと。

いよいよ手術が必要となり、

病院側の「もしもの時に延命治療をしますか?」との問いかけに

叔父は「望む」と告げるも、家族が拒否を。

一縷の望みをかけた手術の二日後に死去。

手術から意識が戻らないままとのこと。

 

葬儀は淡々と執り行われました。

私は通夜に駆けつけることは出来なかったのですが、

寝ずに叔父の傍らでロウソクの灯を見ていた妹である母の話では、

家族の誰一人寄り添って一夜を明かしたものはいなかったと。

叔父の兄弟の方の涙は悲しみというより怒りの涙に感じました。

 

葬儀の後なんともやりきれない気持ちを振り払い、

喪服を着替えて父の見舞いに。

あいにく寝ていたのですが顔の表情、艶がいい。

最近はリハビリで立ち上がることが出来るようになったと母が言っていました。

 

叔父と同じ年齢で、延命治療を拒否した父は生きている。

生と死。

人生とはこうも皮肉なものなのか。

収骨を面白そうにやる幼い孫たちに

叔父はどんな思いを抱いて天への階段を昇っていくのか。

 

帰りの車の中、妻も無言。

と、そこに三連水車の看板が目に入る。

「寄ろうか。」

「・・・うん。」

f:id:akabo999:20180806010026j:plain

去年7月の水害で被害に遭った朝倉の三連水車。

地元の方の努力で再生されました。

まだまだ周りには水害の爪痕が残っています。

いろんな意見もあったようですが、

復興のシンボルとして被災者の希望となっています。

西に傾いた日差しを浴びながら水の跳ねる涼しげな音を聴き、

気持ちを幾分か和らげることが出来ました。

 

これからの限りある人生、どのように生きるか。

立派な生き方は出来ずともせめて

私と妻の葬儀では怒りの涙を流させない、

そんな生き方をしなければ。

 


朝倉の三連水車 2018年8月