燃えよ剣

カミさんの誕生日が近く、母の日も近いということで書かずにいましたが、

5月11日は新撰組副長、土方歳三の命日でした。

4月25日は新撰組局長、近藤勇の命日。

5月30日は新撰組一番隊組長、沖田総司の命日。

3人とも春に命を落としているのですね。

 

近藤勇土方歳三武蔵国多摩郡の農家の生まれです。

沖田総司陸奥国白河藩藩士の次男として生をうけています。

江戸時代は士農工商などの身分制度により、

嫡男以外は「部屋住み」の冷や飯食い。

そんな彼らは試衛館という道場で剣を学びます。

時は幕末。

尊王攘夷、倒幕運動が京都を中心に渦巻きます。

京都の治安維持にあたる京都所司代町奉行だけでは

防ぎきれないとみた幕府は、幕臣からなる「京都見廻組」と、

浪士(町民、農民含む)で結成された「浪士組」を京都に送り込みます。

京都見廻組」が正規組織であるのに対し、

「浪士組」は非正規組織という身分でした。

 

江戸で募集された「浪士組」に試衛館の3人も含まれていました。

京都に到着早々思想の違いから分裂し、「壬生浪士組」を結成。

京都守護職松平容保から京都市中の警備を任せられます。

文久の政変で警護にあたった「壬生浪士組」は

その働きを評価され隊名を「新撰組」と拝命されます。

警備をしながらも内紛が相次ぎ、

暗殺、切腹、逃亡などが繰り返され試衛館派が組を掌握し、

近藤勇を頂点とした組織が整備されました。

長州藩土佐藩尊王攘夷派の志士が京都の旅館「池田屋」で

新撰組に襲撃をうけた「池田屋事件」は有名ですね。

9名を討ち取り、4名を捕縛。

その後も京都市内で攘夷派の志士の討ち取り、捕縛は続きます。

一方、新撰組内でも思想の違いから脱退した元隊員を暗殺したり、

逃亡を企てた者に切腹させたりとその歴史は血塗られたものです。

近藤勇の下、鬼の副長として土方歳三が隊を引き締めます。

新撰組は幕府から幕臣として取り立てられます。

 

そんな中、薩長同盟が締結。

締結に尽力、内戦を回避しようと奔走する坂本龍馬は暗殺され、

武力による倒幕を主張する薩長が京都に押し込みます。

時の第15代将軍、徳川慶喜は時勢を読み、大政奉還を決行。

これで江戸幕府は終焉を迎えます。

しかし、それを潔しとしない旧幕府軍は新政府軍と激突。

鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争が始まりました。

新撰組旧幕府軍と共に戦うも敗退を余儀なくされます。

沖田総司結核のため戦闘には参加できず、江戸に後送されます。

新撰組の隊員もちりじりになりながら旧幕府軍と共に戦い、

敗走を続けます。

そんな中、近藤勇が新政府軍に捕まり処刑されます。

一説によると「武士」として切腹を願い出るも、

「武士」ではないとして斬首、その首は京都に晒されました。

近藤勇、享年34歳。

その近藤の死を知らぬまま、沖田総司結核のためこの世を去ります。

沖田総司の出生は定かでなく、享年24歳とも27歳とも説があります。

鬼の副長、土方歳三旧幕府軍と共に会津、仙台で戦い、

その後旧幕府軍の軍艦に乗って蝦夷地(北海道)へ向かいます。

五稜郭を占拠し、ここで新政府軍と激しい戦いが繰り広げられます。

そして運命の1869年5月11日。

新政府軍に包囲され孤立した友軍を助けに行くため、

わずかな兵を率いて馬上で指揮を執る土方歳三

その歳三の腹に一発の銃弾が命中して落馬。

歳三はその生涯を閉じたのでした。

土方歳三、享年35歳。

 

生涯人を殺さず、人を活かそうとした坂本龍馬

その対極と言える、人を斬りまくった新撰組

暗殺集団とも言われていますね。

しかし、その一人一人を見ると実に興味深い。

身分制度に抗い、幕末という荒波に翻弄され、

己の信ずるものへ執着するあまり時勢を見ることが出来ずに、

幕臣に取り立ててくれた幕府に、幕府亡き後も最後まで忠誠を貫き、

そして最後は武士より武士であろうとした青年達。

 

今の日本は、大志を抱き時代に翻弄され、

血と涙を流した多くの若者の命を土台にしている。

人を殺めることはもちろんいけないが、

生き方、生き様から学ぶことは沢山あると思う。

 

偉人と言われる人も、

名が残らぬ圧倒的多数の人も一生懸命生きてきた。

そして現代の我々も一生懸命生きることが大切である。

 

命燃えよ、燃えよ剣

 

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近藤勇国立国会図書館蔵)

 

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土方歳三国立国会図書館蔵)