初孫の記憶。
父の見舞いに家族4人で行って来ました。
5日前に妻と二人で見舞いに行っていたのですが、
その時は原因不明の熱でうなされてました。
もしかすると孫の顔を認識出来るのは最期かもと。
原因不明の熱はその後の検査で肺炎になりかけていたと判明。
入院時にはなかった膵臓の膵管にも異常が。
後手後手の病院の対応に不信感を持ちつつも、
ここに頼らざるを得ない状況なのです。
五日前よりは少しは楽なようで、呼びかけに笑顔も。
孫の顔を見て顔をほころばせていました。
良かった!
顔も名前もわかるようです。
ただ明日、今日のことを憶えているかはわかりません。
長男は中学に入った頃から、私の実家に行きたがりませんでした。
思春期で親について行くこと自体少なくなりましたし、
私の仕事の都合上、盆も正月もなかなか休みがとれなかった。
父は以前書いたように一時期教師でしたので、
話が説教くさくてカタい。
思春期の長男にはそれが疎ましい。
私も思春期にそう感じていたので痛いほどわかります。
しかし、今は父の思いもわかります。
私の長男は父と母にとって初孫でした。
60代前半だった父は母を車に乗せて毎週のように孫の顔を見に来ました。
片道60kmの道のりを2時間かけて。
カメラが好きだった父は沢山の写真を撮ってました。
特別養護老人ホームの園長を務め、
初孫の顔を見るのが生きがいだったのかもしれません。
実家の本棚の上に色褪せた家族全員集合の写真が数枚飾られていました。
もっと早く孫たちを連れて行けばよかった・・・
悔やんでも悔やんでも悔やみきれません・・・
気付けなかった自分に腹が立って仕方がない!
遺書も読んできました。
妻に対する感謝、好きなように生きさせてくれたことへの感謝。
子供たちへの感謝、子育てをさせてくれたことに感謝。
涙が溢れました。
気付くのが遅かった・・・
もっと早く親の老いに目を向けるべきだった。
今更ですが、これから何が出来るか考えていかねばならない。
しかも待ったなしで。
残された時間、記憶があるうちに楽しい思いをさせたい。