孤高の戦士・・・

久しぶりにF-1GP観てます。

思えば観だしたのは80年代後半で、

アイルトン・セナロータス・ホンダで活躍し、

マクラーレン・ホンダに移籍して一気に頂点へ登りつめる頃でした。

当時はネルソン・ピケアラン・プロストナイジェル・マンセルといった、

一癖も二癖もある役者が揃ってましたね。

ホンダエンジンも素晴らしかった。

中嶋悟も良く頑張ってました。

観なくなったのは1996年ごろからかな?

 

アイルトン・セナについて。

特別に応援していたわけではありませんでした。

どちらかというとやんちゃな走りをするマンセルの方が好きでした。

 

1988年にはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝という快挙。

セナが自身初のチャンピオンになった年でしたね。

1989年にはセナとプロストの対立が激化。

レースだけでなくチーム内でも険悪なムードに。

日本GPのシケインで両者接触。

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セナはこの後、レースに復帰してトップでチェッカーを受けるも

レース後の裁定でシケインカットを理由に失格となりタイトルを逃します。

ポイントでリードしていたプロストがチャンピオンとなりフェラーリへ移籍。

遺恨を残したまま1990年を迎える。

そしてこの年も2人のチャンピオン争いに。

セナ6勝、プロスト5勝で迎えた日本グランプリ

ポール・ポジションのセナがスタートで出遅れ、

予選2位のプロストがリードして入った第一コーナーで二人は接触。

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両者ともリタイア。

今度はポイントでリードしていたセナが2度目のチャンピオンを獲得。

2年連続でスッキリしない結末を迎えたのでした。

1991年はフェラーリがマシン開発の遅れで低迷。

セミ・オートマチック・トランスミッションなどの技術革新で

ウィリアムズ・ルノーが躍進。

フェラーリからウィリアムズへ移籍したマンセルと、

マクラーレン・ホンダのセナのチャンピオン争いに。

最終的にはマシンの信頼性の差でセナが3度目のチャンピオン。

フェラーリで1勝も出来なかったプロストはチームを批判。

終戦を待たずにチームを解雇され、その後1年間の休養に。

この年を最後に、ネルソン・ピケ中嶋悟が引退。

 

1992年はアクティブ・サスペンションを搭載して

マシンの信頼性もアップしたウィリアムズ・ルノーが大活躍。

技術で出遅れたマクラーレンはホンダエンジン頼りで苦戦。

ウィリアムズ・ルノーナイジェル・マンセルが9勝をマークし

初のチャンピオンを獲得。「無冠の帝王」を返上したのでした。

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この年を最後にホンダが撤退。

撤退発表の後のインタビューで見せたセナの涙が今も心に残ってます。

マンセルは契約金のこじれ(?)でチャンピオンのままチームを去ります。

1993年はホンダエンジンを失ったマクラーレンが競争力を失う。

1年の休養後、政治力を利用しウィリアムズ入りしたプロスト

前年のチャンピオンマシンに更に改良を加えたウィリアムズの前に

セナの腕をもってしても太刀打ちできず、プロストがチャンピオンに。

そしてプロストの引退。

1994年、競争力のあるマシンが欲しいセナは念願のウィリアムズ入り。

しかし、ウィリアムズ一強に危機感を持ったFIAが規制に乗り出す。

ハイテク技術が禁止となり、極限まで追求された空力デザインとの

バランスが崩れます。

アドバンテージが無くなった上に挙動が安定しないマシン。

セナは第1戦、第2戦とポールを獲得するも連続でリタイア。

そして第3戦、サンマリノGP。

予選でローランド・ラッツェンバーガーが事故死。

F-1GP開催中の死亡事故は12年ぶりとのこと。

この年のサンマリノGPは予選、決勝と事故が相次ぎ、

負傷者多数、死亡2名を出し呪われた週末と呼ばれています。

運命の5/1、決勝。

ポール・ポジションからスタートしたセナはトップを走行。

しかし、後方での事故でセーフティ・カーが先導することに。

後に映像で分かったのですが、

セーフティ・カーの速度が遅くセナが「もっと速く!」とジェスチャー

タイヤの温度が下がることでグリップ力が低下することを懸念したのではと

言われています。

セーフティ・カーがいなくなり、レース再開。

7周目の高速コーナー「タンブレロ」でセナのマシンは突如右にコースを外れる。

そしてコンクリートウォールに激突。

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レースは中断し、セナは救命処置を受けヘリで病院へ。

しかし、そのまま帰らぬ人に。

34歳でした。

 

直接の死因は折れたステアリングシャフトがヘルメットの隙間から突き刺さり、

脳にダメージを受けたためと言われています。

 

事故の原因は諸説あります。

その中には自殺説も。

多分、レース前に憔悴しきった表情をみせる写真があるのでそこからでしょう。

前日のラッツェンバーガーの死亡事故にショックを受けてたようです。

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しかし、私はそうは思いません。

彼はいつも限界ギリギリを攻めていました。

モナコ・マイスター。

モナコGPは市街地コースでエスケープ・ゾーンが無い。

そのモナコで6勝。

ガードレールギリギリを疾走するセナは後に、神を感じたと述懐しています。

彼は敬虔なクリスチャンでもあります。

 

後に公開されたセナのマシンのオンボード・カメラの映像では、

必死に最後までマシンを制御しようとする姿が映ってます。

決して最後まで諦めていなかったはずです。

 

 

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この写真もサンマリノGPレース前の姿と言われています。

私には静かに闘志を秘めた瞳に見えます。

 

この写真は私のパソコンのデスクトップにあります。

「お前は自分で限界つくってないか?」

と私を鼓舞してくれます。

それと同時に何かを語りかけているような気がするのです。

それが何か気付くのか・・・それは、私次第。

今日もセナと対峙しています。

私も心は孤高の戦士であろうと思います。