父の老い・・・

更新が遅れてしまいました。

この間に私の父が転倒していしまい大腿骨頸部骨折をしまして、

手術をしました。

 

手術前に担当医から説明がありまして、

高齢であること、腹部に動脈瘤があることで危険が伴うと。

「もし心臓が止まった場合はどうしますか?」

「ど、どうするって?」

「延命処置を行いますか?」

「延命処置をすれば助かるのですか?」

「そうなるということは心臓がそれだけ弱ってるということですから、

現状回復は難しい。助かっても寝たきりで人工呼吸器装着となる可能性が高い。」

 

実は数か月前、母が父の本を整理していたら遺書が見つかって、

5年ぐらい前に書かれたもので認知症が少し出てきたころと重なります。

「もしもの場合は延命治療をするな。」と書かれてました。

家族で話し合い、父の意思を尊重して延命処置はしないことに。

手術中は皆祈る思いでした。

折れた骨頭を人工の骨頭に換える『人工骨頭置換術』という方法です。

3時間近くかかった手術は無事成功。

手術後の父に集中治療室で面会しました。

麻酔で意識が朦朧としながらも

「頑張ったね。」の声にわずかに微笑みました。

 

しばらくは合併症を引き起こさないよう集中治療室で、

その後様子を見て一般病棟へ移るとのこと。

そしてその後は辛いリハビリが待っています。

 

私の父は40代後半まで中学の教師でした。

その地域では名の知れた荒れた中学でして、

一緒に夕飯を食べた記憶があまりないのです。

帰宅は遅く、休みの日は部活の顧問。

生徒補導の知らせで夜に出ていくのは日常茶飯事でした。

金八先生を地で行くような先生だったようですが、

テレビで「金八先生」を見ていると必ず「こんな単純なものではない・・・」と。

そんな中、一緒に駆けずり回っていた同僚の方が心労から自殺。

心身をすり減らした父も胃潰瘍から体を壊し退職。

その後特別養護老人ホームの職員となり副園長、園長と務めてきました。

老いとは、認知症とはどういうものか。

職場で向き合ってきた父。

趣味は登山でしたが胃ガンを患い

胃の3分の2を摘出してからは体力が無くなり、

山に登ることは出来なくなりました。

老人ホームの園長を退職してからは急に老けこもりました。

大好きなはずの本も読まなくなり、好きな車も運転しなくなり・・・

全てのことに興味を失いました。

認知症になるリスクがあるから医師に相談しようと話しても

認知症の診断内容を知ってるので頑なに拒み続けます。

出来るだけ刺激を与えようと一緒に旅行したり、

本を贈ったりしていたのですが認知症の進行を止めることは出来ませんでした。

かつての教え子さん達がよく遊びに来てたのですが、

会話が思うように出来なくなった父を見て涙ぐんで帰っていったそうです。

 

あの厳格だった父が・・・

いろんな想いが込み上げてきて頭が整理できずにいます。

しかし、幸いなことに父は生きている。

これから出来うる限り寄り添いながら

楽しい時間を少しでも長く感じていられるようしていこう。

 

長崎旅行記、そのさん!

朝7時に目を覚まし、朝食会場である大広間に。

こんなに泊まってたの?ってくらい大勢の人だかり。

バイキング形式で和・洋・中いろんなメニューがあります。

新鮮な野菜のサラダバー、ヨーグルトやフルーツジュースも。

朝から満腹でしばし部屋で休憩。

今日の長崎は昨日に引き続き天気が良いとのこと。

しかしpm2.5が多いと。

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たしかに霞んでますね。

本日の観光予定地のルートを確認して10時にチェックアウト。

『にっしょうかん新館 梅松鶴』さん、お世話になりました。

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まずは市の中心にある長崎市民会館の地下に駐車。

ここから歩いて名所を巡ります。

と、ここで長男が「ひとりでブラつきたい。」と。

マメに連絡を取り合うことを条件にリリース(笑)。

妻と娘と3人でまずは近くにある『眼鏡橋』へ。

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1634年に建造されたこの橋は日本初のアーチ式石橋です。

川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えることから名付けられたそうです。

1982年の「長崎大水害」で半壊しましたが修復され、

国の重要文化財に指定されてます。

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ここから更に歩いていきます。じわじわと上り坂になってきました。

目指したのは日本最古の中国様式の寺院『崇福寺』。

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この「三門」を含む重要文化財、国宝が中にあるのですが、

昨日からの疲れがカミさんの足を重くし、泣く泣く後にします。

ここからさらに歩きます。

両脇にいろんなお店があり、立ち止まって中を覗いたり・・・

時折足を休めながら海の方角へ。

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出島が見えてきました。

『出島』とは1634年、江戸幕府が外国人流入防止政策の一環として

長崎に造られた人工島です。

当初はポルトガル、その後オランダとの唯一の貿易拠点でした。

鎖国を進める江戸幕府により、日本は世界との繋がりは出島だけでした。

主に生糸、砂糖、薬等を輸入、銀や銅を輸出しました。

出島からいろんな西洋文化が日本に入ってきました。

西洋医学もそうですね。

自由平等という思想は当時の日本にはないもので、

この思想が日本に広まり幕末に大きく影響を与えたともいわれます。

ペリーの来航により1856年に幕府から出島開放令が出され、

3年後の1859年に閉鎖、出島としての役目を終えました。

明治時代に護岸工事、埋め立て工事で内陸化しています。

昭和に入り復元工事が始まり今日に至ります。

 

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桜(和)とチューリップ(洋)が仲良く咲いていました。

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復元模型の前で。

 

この後楽しみにしていた、近くにある新地中華街での食事です。

 

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会社の長崎出身の同僚がお薦めする『江山楼』を探します。

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見つけました。

店内にも待ちの行列がありましたが、思いのほか早く案内されました。

同僚お薦めの長崎ちゃんぽんと長崎皿うどんをオーダー。

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福岡では豚骨ベースが一般的ですが、こちらは違いますね。

こってり系で深い味わいです。

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パリパリ麺の皿うどんは絶品でした。

家族でシェアして頂きました。

美味しいお茶で一息つきたいところですが、お皿を早々と片付けられ・・・

行列が出来てるのでしょうがないですね、会計を済ませて店外へ。

中華街をブラブラした後、次の観光地へ向かいますが

つづきはまた後で・・・

 

つづく・・・きっと

 

長崎旅行記、そのに!

初日に到着早々目的を達成したので

後はありふれた観光になりました・・・期待させてゴメンナサイ!

龍馬の道で坂を昇りに昇ったのでもうホテル直行!と

我が家の財務省がおっしゃるので一路ホテルへ。

有名な稲佐山の反対に位置する山を車で登っていきます。

くねくねと、こんな急な坂!ってな道をぐんぐん上ると見えてきました。

今回宿泊するホテル『にっしょうかん新館 梅松鶴』。

https://www.hmi-ryokan.jp/baishokaku/

 

駐車場に車を停めるとすぐに仲居さんが二人出てきて荷物を持ってくれます。

このホテルではチェックアウトまで気持ちよく過ごせました。

長崎旅行のさいはお薦めのお宿です。

山の頂上にあるので見晴らしも最高です。

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長崎市と長崎港。

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向かいには稲佐山

長崎は神戸、札幌(函館?)と並ぶ日本三大夜景の一つです。

夜が楽しみです。

 

と、ここで夕食まで時間があるからと、娘が「GU行きたい!」げな。

なぜに長崎まで来てGUなのか?

検索したら坂の下にあるココウォークという商業施設内にあると。

検索するなー!

しかたないのでまた車に乗り込み山を下りて麓のココウォークへ。

ここで長男がよもやの別行動。

そして約束の合流時間に大幅に遅れ、

ホテルに戻ったらそのまま夕食会場の大広間へ。

夕食は長崎情緒ある鮮やかな品々でした。

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残念ながらお料理の写真がどれもピンボケでした。

長崎料理を堪能してみんな満足です。

 

そして部屋に戻りカーテンを開けると、

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カメラがいいともっと綺麗に撮れたのですが・・・

この写真からだと伝わらないかもしれませんが、

見事な夜景でした。これは一見の価値ありです。

 

この後、大浴場で体の疲れを癒します。

温泉ではないのですが、ちょうどいい湯加減で気持ち良かったです。

 

部屋に戻ると寝不足の長男が真っ先にベッドに倒れ込み爆睡。

私は家族が寝静まってそっと窓を閉め、

ベッドに横になり今日一日を思い起こしました。

龍馬の歩いたであろう坂、

龍馬が見たであろう長崎の風景に思いを馳せ、

少しだけ龍馬に触れたような気分で心地よく眠りにつきました。

 

つづく・・・たぶん・・・

長崎旅行記、龍馬の道をゆく

上司の送別会から一夜明けて気持ちも切り替えて・・・

どころか、忙しくて考える余裕もなく一日が過ぎました。

そして2連休を頂いてたので直前に予定を立てた長崎旅行へ。

年に一回ほどの割合で家族旅行に行ってるのですが、

長男は中学の頃からついてきてないので、

まあ今回も行かないだろうなと高を括って妻と娘と3人いい宿に、と。

宿を決めて一応長男にも声を掛ける。

ちち「家族で長崎に旅行に行こうと思ってるけど行く?」

ちょーなん「あぁ長崎ね、行く。」

ちち「わかったわかった・・・はい?」

 

だいごさーーーん!

ちと出費がかさみましたが、家族4人で旅行はもしかすると最後かも。

 

前日の夜にバタバタ用意を。

夜な夜なオンラインゲームに講ずる長男に早目に寝ろと。

娘にもYouTubeはたいがいにして早く寝ろと。

翌朝、やはりこの二人が起きてこない・・・

叩き起こして車に押し込み出発!

高速道を飛ばしてると案の定、長男が気持ちが悪いと。

寝不足で車酔い。先が思いやられる・・・

サービスエリアにちょこちょこ寄りながら一路長崎へ。

長崎県に入り、風光明媚な大村湾PAへ。

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何故恋人の聖地なのかわかりませぬが、

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ハートをくぐって東屋?で手を繋ぐ(キス?)と結ばれるらしい。

興味のある方は是非どうぞ。保証はしません念のため。

長崎市に入って一番先に目指したのは亀山社中跡。

実は私にとってここが一番の目的だったのです。

大通りから路地に入ったところのコイン駐車場に車を停め、

坂を昇る昇る・・・

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ようやくたどり着きました。

亀山社中とは・・・

幕末(江戸時代後半)に土佐藩を脱藩した坂本龍馬が中心となり結成された組織です。

勝海舟の指導する神戸海軍操練所で海洋航行術を身に付けた龍馬は、

神戸海軍操練所が閉鎖された後に薩摩藩や長崎の商人から援助をうけ、

1865年、長崎の亀山に本拠をおき、貿易や物資の運搬を行いました。

その傍ら、薩摩藩と険悪だった長州藩

薩摩藩名義で購入した武器を渡すなどして薩長同盟締結に尽力しました。

1867年に龍馬は土佐藩から脱藩の罪を赦され、

土佐藩付属の「海援隊」となりました。

日本初の株式会社ともいわれています。

海援隊を参考にして土佐藩岩崎弥太郎が三菱の元を作ったといわれています。

朝廷復権・倒幕運動に奔走しながらも内戦回避を主張する龍馬と、

武力による倒幕が不可欠と主張する薩長と意見が衝突するなか、

1867年11月15日、京都『近江屋』で龍馬は暗殺されます。

龍馬亡き後、倒幕、明治維新がどのように行われたか歴史で学びましたね。

海援隊は1868年に解散となります。

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「龍馬のぶーつ像」が近くにあり長崎市内を見下ろすことが出来ます。

ここから更に坂を昇って昇って・・・

カミさんと子供たちは坂の途中で「ギブ!」げな。

頂上に頭山公園がありまして。

なんだ、駐車場があるやん・・・

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桜が満開の中、

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龍馬像がありました。

翻るは海援隊の旗。

龍馬は海の方向を向いています。

今の日本を龍馬はどう思っているのでしょうね・・・

『日本を今いちどせんたくいたし申候』

 

奇しくも誕生日に天に召された龍馬。

幕末の大きなうねりの中、

日本の道筋を示して役割を終えると天に昇って行った。

32年の生涯で何度も日本を走り回り、沢山の人と話し、

概念を塗り替えていった。

数奇な運命を辿った偉人もいろんなことで悩み、失敗もしています。

現代の私達は結果主義で結果が出ないと価値が無いみたいに捉われる。

結果が全てではない。

一生懸命生きることが大事である。

目の前の結果でその人の価値は測れない。

きっと一人一人意味を持って生まれてきている。

今は自分自身ではわからずとも、きっと見ている人がいる。

そう強く感じた龍馬との対面でした。

 

つづく

別れの季節・・・

桜が一気に開花しましたね。

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ここは私のお気に入りの場所です。

 

春は別れの季節でもあります。

今夜は上司の送別会でした。

 

その上司は、私が鬱で苦しい時期に転勤してきました。

ほどなくして私が入院。

私の家族とも接していろいろと支えてくれました。

たぶん、この上司でなかったら今の職場に復帰は難しかったと思う。

腫れ物に触るような感じで閑職に回される。

私の勤める会社は全国規模で誰もが知ってる企業ですが、

古い体質が色濃く残ってます。

私のいる九州事業所では私を含め、少なくとも3人が心療内科に通ってます。

陰では「結局心が弱いからなんだよ。」と言われています。

こうなってしまったら言い返せないんですね。

地道に業務をこなしていくしかない。

そのための復帰を後押ししてくれました。

九州事業所で一番精神的にキツイ職場への復帰は、

上層部では疑問の声もあったようです。

しかし上司が反対の声を押し切って私の尊厳を守ってくれました。

いろんな話を聞いていただき、時にはきつい言葉での叱咤激励もあり、

私を盛り立ててくれました。

「言葉が汚く、押しが強く、強烈な個性の塊。」

と周りでは言われる上司でしたが私にとってはよき理解者でした。

単身赴任で各地を転々とする出世街道まっしぐらの方なので、

今回の転勤も栄転、送別会も大勢集まりました。

私は明日早朝出勤なので、一次会でお別れ。

酒の好きな方なので明日が休みの連中は朝まで付き合わされることでしょう。

 

帰路、上の公園に寄りました。

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夜風に吹かれながら街灯の明かりで浮かび上がる夜桜を見てました。

 

 

感傷的になってカッコ悪いですね。

女々しいなぁ。

別れにはきっと何か意味がある。

きっと次のステージに上がるための試練なんだ。

そして新たな出会いがある。

上を向いて歩こう

 

 

しかし今夜だけは感傷に浸らせてくれ。

 

やがて男は静かにねむるのでしょう

700番、完・・・?

700番 完・・・。

 

ASKAとしては完結にしたいのでしょうが、

ファンの気持ちはなかなか完。とはいきませんね。

私としては前のエントリーで書いたような気持ちでいるのですが・・・

 

FRIDAYは全然読む気になりませんが、

本日、気になることがありここに気持ちを書かせてもらいます。

 

ファンの方のブログやコメントで

「あの方と幸せになって欲しい。」や、

「あの方と今もお付き合いされてるのですね、がっかりです。」や、

「言わないで欲しかった。」というような書き込みがありました。

 

まず、言わなければならなかった。

 

FRIDAYが写真掲載で記事にすると分かった時点で、

ASKAとしてはFellowsには自分の方から先に伝えたかった。

記事が先だと疑心暗鬼になり収拾がつかなくなる。

何としても先に自分の文章で言わねばならなかった。

 

 

元愛人の方が事務所に出入りしている。

 

有罪判決が出て執行猶予中の身で、しかも名前に特徴がある。

職も住まいも失った今、

ASKAを守ろうチーム」の一員ということにして

実際はASKAが彼女を保護しているということなのでしょう。

なぜ離れた場所に保護しないのか、

なぜわざわざ目に付く事務所に出入りさせていたのか?

これは同じ男としてわかる気がします。

もうすでに男女の仲ではなく、

人間同士として周りの方と同じようなお付き合いであり、

隠す必要がないということかと・・・

逆に離れた場所で保護していたら、

知られたときに「隠れて・・・」となってしまいます。

だからASKAとしては隠さず、時期が来たらFellowsに知らせようと。

 

この時期でのFRIDAYは誤算だったが、

いづれ伝えねばならないことと・・・

ASKAらしいといえばASKAらしいのかな?

 

私としては上記のように解釈して、

ASKAが音楽に向き合える環境が整ってると感じてました。

 

 

しかし・・・

本日、マー坊さんがツィートで「人の恋路の邪魔を・・・」と。

明言はされてませんが、

状況からASKAと元愛人の方のことだとしか受け取れません。

マー坊さんの愛情は深く温かい。

でも・・・恋路・・・

ASKAと元愛人の方は今も男女としてお付き合いしているということなのか・・・

 

これが男としてのけじめなのか?

「離婚は彼女のせいではない。」

ASKAがそう言うのなら信じるしかない。

夫婦間のことは明かす必要はない。

でもこの状況で・・・

離婚したのだから自由。

そう言う方もいらっしゃいます。

いろんな意見もあるでしょう。

 

でも私の中では男として有り得ない。

別な意見をお持ちでもスルーして下さい。

これは私の男としての考えですから。

 

 

まずは腹膜炎完治を願うばかりです。

 

LET IT BE・・・

最近、仕事でフル残業が続きお疲れモードです・・・

今日は休養日。

購入してたビートルズのアナログレコード『LET IT BE』を聴きました。

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1970年のアルバムです。

大好きな「LET IT BE」、「THE LONG AND WINDING ROAD」、

「GET BACK」等名曲が収録されています。

もう最高ですね!

 

平昌オリンピックも面白くなってきましたね。

フィギュア男子SPで羽生選手が完ぺきな滑り、演技を披露してくれました。

怪我で3か月リンクに立てなかったなんて微塵も感じさせない見事な演技でした。

宇野昌磨選手も良く頑張りました。

明日のフリーが楽しみです。

今晩は男子スキージャンプラージヒル予選。

レジェンド葛西選手の大ジャンプを観たいですね。

 

 

最近、FellowsのASKAブログのコメント欄が荒れてますね。

フライデーは裁判から目を逸らすためのこのタイミングなのか。

どちらにしてもASKAが告白した以上、

元愛人の方がASKAの処に出入りしているということですね。

離婚は彼女には関係ないとのこと。

もちろん、夫婦間のことは明かす必要はありません。

 

私は私自身が苦しい時期にASKAブログと出会い、

崖を這い上がるASKAを感じて自分も頑張って来れた。

そんな中、突然の離婚報告。

正直辛かった。

でも私の中でASKAはこうである、こうあるべきであるという気持ちが

非常に強くあることに気付きました。

その後、ブログを通して見えてきたのは私が思い描いてたASKAではなかった。

それは、いい悪いではなく私が勝手に造り上げたASKA像と違ってたということ。

ASKA自身も言うように、ASKAにだって間違いはある。

人と好き嫌いは違って当然。

ASKAASKAの周りの状況、常識の中で生きているということ。

私達はASKAの全てを受け入れる必要はないと思う。

 

私個人の気持ちとして・・・

 

AbemaTVの逆指名インタビューに関して。

インタビューを受けるというよりASKAが喋りたいことを喋るだけの内容。

正直がっかりしました。

それでもあの状況のなか、

映像を通して発信する意味があったのだろうと勝手に推測しています。

 

亀田興毅さんに関して。

私は竹原や辰吉、畑山、長谷川を応援して来ました。

亀田興毅さんに彼らのような魅力を全く感じていません。

テレビの煽りやバッシングは差し引いても同じ気持ちです。

別に亀田興毅さんを悪く言ってるんじゃないですよ。

これはあくまで私の好みの問題。

ASKAが彼のことをどのように評価しても私の気持ちは変わりません。

それでいいんだと思います。

 

元愛人が「ASKAを守ろうチーム」の一員。

元愛人の方を守るためのASKAなりの責任の取り方なのでしょう。

それを受け入れる、受け入れないはFellows一人一人、個人の自由。

私はどちらでもありません。

私にとって必要なのはASKAの歌声、楽曲。

そしてその歌声、楽曲が作れる環境にASKAがいるということ。

 

私はCHAGE&ASKAの『PRIDE』に救われました。

ASKAの地獄から這い上がる姿に勇気を貰いました。

そしてASKAを通して、ソロでチャゲアスを歌いつなげるChageさん、

そして熱い心を持つマー坊さんに目を向けることが出来ました。

ASKAからいろんなことを学びました。

そしていろんなことを得ました。

 

元愛人の方に対する責任の取り方はFellowsにとって賛否両論あるでしょう。

きっと、今の状況からはそれ以外なかったのでしょう。

ミュージシャンASKAとしてより人間宮﨑重明として。

これからもASKAは重い十字架を背負って生きていくのだと思います。

私はこれからも変わらず自分なりの方法で応援していきます。

 

これはあくまで私個人の考えですので。

 

「なすがままに、あるがままに身を委ねよう・・・」

 

 LET IT BE・・・